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横浜地方裁判所 昭和53年(ワ)2510号 判決

申立人(債務者) 株式会社 興亜被服工業千住工場

右代表者代表取締役 矢島豊

右訴訟代理人弁護士 系正敏

同 藤井伊久雄

被申立人(債権者) 矢島隆太

被申立人(債権者) 矢島栄太

右両名訴訟代理人弁護士 永野謙丸

同 真山泰

同 小谷恒雄

同 保田雄太郎

同 藤巻克平

同 竹田真一郎

主文

一、横浜地方裁判所が同庁昭和五三年(ヨ)第九四二号不動産仮処分命令申請事件について昭和五三年八月一一日になした仮処分決定は、申立人において金一〇万円の保証を立てることを条件としてこれを取消す。

二、訴訟費用は被申立人らの負担とする。

三、この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、申立の趣旨

1. 横浜地方裁判所が同庁昭和五三年(ヨ)第九四二号不動産仮処分命令申請事件について昭和五三年八月一一日になした仮処分決定は、申立人において金一〇〇万円の保証を立てることを条件としてこれを取り消す。

2. 訴訟費用は被申立人らの負担とする。との判決および仮執行の宣言

二、申立の趣旨に対する答弁

1. 本件申立を棄却する。

2. 訴訟費用は申立人の負担とする。

第二、当事者の主張

一、申立の理由

1. 横浜地方裁判所は、同庁昭和五三年(ヨ)第九四二号仮処分命令申請事件について、昭和五三年八月一一日、「債務者は別紙目録記載の物件について、譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分をしてはならない。」との決定をなした。

2. 右仮処分決定における被申立人ら各自の被保全権利は、その主張によれば次のとおりである。

(一)  主位的主張

(1) 申立人会社の発行済株式総数は三六〇〇株であるところ、申立外矢島芳郎が、全株式を所有していた。申立外今井件造が一〇〇株を名義上所有している形になってはいるが、同人は名義株主に過ぎない。また、右矢島芳郎は、申立人会社の代表取締役でもあり、同会社の経営は同人の意思のみによってなされていた。従って、申立人会社の法人格は単なる形式に過ぎず、同会社名義の財産はすべて同人個人の財産であった。

(2) 申立外矢島芳郎は(以下亡芳郎という。)昭和五三年二月七日死亡し相続が開始した。その相続人および相続分は次のとおりである。

妻 矢島金枝 三分の一

長男 矢島隆太(被申立人) 一五分の二

長女亡寺沢政子の長女 寺沢ダナ 一五分の一

同二女 寺沢ジュアン 一五分の一

二女 ハザノウ・成子 一五分の二

二男 矢島豊 一五分の二

三男 矢島栄太(被申立人) 一五分の二

(3) 亡芳郎がその全財産を申立人に相続させる旨の遺言を記載した公正証書が存在するが、右遺言は遺言能力の欠缺および方式違背により無効である。

従って、被申立人らは各自別紙目録記載の建物(以下、本件建物という。)について一五分の二の持分を有する。

(二)  予備的主張

仮に、亡芳郎の前記遺言が有効だとしても、右遺言により遺言執行者と指定され、かつ全財産を相続するものとされた申立外矢島豊に対して昭和五三年三月二〇日に到達した書面により遺留分減殺の意思表示をした。

従って、被申立人らは各自本件建物について一五分の一の持分を有する。

3. 仮に、被申立人ら主張の被保全権利が存在するとしても、本件仮処分が取消された場合、被申立人らの受ける虞のある損害は金銭によって補償することが可能である。

(一)  本件建物は、従来申立人会社の社宅としてその株主でもある申立外今井件造が住居に使用してきたものであるが、既に建築後約六〇年を経過し、現実の取引価格は零である。そして、被申立人らは自己の住居を有し、その点に何ら不安がないから、本件建物自体を確保しなければならない理由は全くない。

従って、本件仮処分により保全される被申立人らの生活利益は、社会通念からみて金銭的価値の把握により十分その目的を達し得るものである。

(二)  申立人会社の所有する財産は現在次のとおりであり、これらの不動産がその財産のほとんど全部である。

(1) 鎌倉市大町一丁目一一八二番一

宅地 三八〇・九一平方メートル

(2) 右同所一一八二番四

宅地 一・六六平方メートル

(3) 右同所一一八二番六

宅地 一六五・三〇平方メートル

(4) 右同所一一八二番七

宅地 一一九・〇五平方メートル

(5) 右同所一一八二番地一所在

家屋番号 一一八二番一の一

木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅

一階 一八九・四八平方メートル

二階 五一・六四平方メートル(本件建物)

(6) 鎌倉市極楽寺三丁目二九六番

山林 二、九〇二平方メートル

(7) 右同所三〇七番

山林 三一〇平方メートル

(8) 右同所三〇八番

山林 二六七平方メートル

(9) 右同所三〇九番

山林 四八五平方メートル

(10) 右同所三一〇番

山林 二六四平方メートル

(11) 右同所三一一番

山林 六六四平方メートル

(12) 右同所三一二番

山林 一二、五三五平方メートル

これと同時に、申立人会社は多額の債務を負っている。すなわち、同会社所有不動産を維持管理するための費用が、昭和三五年ころより全て申立外株式会社大海老より支出されており、その立替金合計金一、四五四万六、八五〇円(昭和五三年二月末現在)、財団法人全国マラソン後援協会への基本財産寄附立替金五二六万六、〇〇〇円等である。さらに、株式会社大海老の銀行からの借入金の担保として、申立人会社所有不動産が供されている。

従って、仮に被申立人らの主張する如く申立人会社所有財産が亡芳郎個人の財産と同視し得るものであり、かつ、右財産に対し被申立人らの相続持分が存在するとしても、申立人会社の財産を分配するにあたっては、当然、前提として債務の整理をしなければならず、そのためには申立人会社所有財産を処分することによりこれにあてる方法しか存在しない。それ故、仮に被申立人らが申立人会社の財産に対し相続持分を有するとしても、それは個々の財産に対し直接持分を有するのではなく、会社財産として整理された後に残る剰余価値に対して権利を有するに過ぎないのである。その意味では、本件被保全権利は、仮処分の形をとってはいるが、金銭的価値そのものであると言っても過言ではない。

4. 本件仮処分によって申立人は異常な損害を受ける。

(一)  被申立人らにとっては、前記申立人会社所有不動産のいずれのものに対して仮処分を行ってもその権利は十分に保全される。しかしながら、現時点において、本件建物に対する仮処分は、申立人会社にとって回復し得ない損害を生じることとなる。すなわち、本件建物とその敷地(以下、本件土地建物という。)については、昭和五三年四月一九日に申立外清興不動産株式会社との間に売買契約が成立し、申立人会社は、右売買代金二、二〇〇万円のうち既に手附金として金五〇〇万円を受領している。右売買契約における所有権移転登記手続および引渡の期日は、昭和五三年九月末日であるが本件仮処分により、申立人会社はその債務を履行できない。そこで、申立人会社から清興不動産株式会社にその事情を説明し、右期日を同年一一月末日まで猶予することを依頼し、一応の承諾を得ているが、これを徒過すれば右手附金の倍額の損害金を支払わなければならないこととなる。

(二)  さらに重要なことは、申立人会社は今回の財産処分により、申立人会社が物上保証している株式会社大海老の借入金を返済する計画であり、既に売買代金のうち九〇〇万円を返済することが決定している。現在、株式会社大海老の経営は、財政的に非常に圧迫されている。その理由は種々あるが、申立人会社への多額の貸付金がその一因となっている。今回の財産処分により、その資金を確保し、経営を合理化していかなければ株式会社大海老の経営が行きづまり、取り返しのつかない事態となることは明白である。

5.(一) 本件仮処分決定の取消を求めるため申立人会社の立てるべき保証は、右取消により被申立人らに生ずる虞のある損害を担保するためであるから、本件仮処分の目的たる本件建物の価値相当金額の保証を立てれば、最大限の損害の担保をすることになるはずである。

(二)  本件建物の取引価格は零である。本件建物は既に建築後六〇年を経過し、居住の用に供し得るものではない。現実に今回の売買契約においても建物価格は零であり、むしろ取毀費用を考慮すれば、その価値はマイナスと評し得るものである。

また、本件家屋は、長期間にわたり申立外今井件造の住居として使用されてきたものであり、被申立人らにおいて、これに対し、主観的価値を保有する理由もない。

(三)  従って、仮に建物構成材料の価値を考慮しても、金一〇〇万円の保証を立てることにより、被申立人らに生ずる可能性のある全ての損害を担保して余りあるというべきである。

6. よって、申立人は、金一〇〇万円の保証を立てることを条件として、本件仮処分決定を取消すことを求める。

二、申立の理由に対する答弁

1. 申立の理由1および2の事実は認める。

2. 同3のうち、申立人会社所有名義の財産として同(二)(1)ないし(12)の土地および建物のあることは認めるが、その他の事実ならびに同4、5の事実は争う。

3. 本件仮処分決定が取消された場合、被申立人らが受ける損害は金銭により補償することができるものではない。

申立人ら各自は、本件土地建物を含む申立人会社所有名義の全財産について一五分の二、仮にそうでないとしても一五分の一の持分を有する。

被申立人らは、申立外株式会社大海老の債務を連帯保証しており、特に被申立人矢島隆太は、自己所有の土地建物に対し根抵当権を設定している。すなわち、本件土地建物が他に譲渡され、そこに設定されている根抵当権が抹消されれば、被申立人らが負担する債務が相対的に増大する。

また、本件土地建物は申立人会社所有名義の不動産中極めて重要な部分を占める。申立の理由3(二)(6)ないし(12)の土地は風致地区に指定されているため、財産的価値はほとんどない。不動産は、或る場合は財産の源泉としてその評価額以上の価値を有するものであり、また一旦手放すとその再入手はほとんど不可能である。今日のように地価の上昇が著しいときはなおさらである。

別件において、被申立人らは申立外株式会社大海老の株主であるとともにその取締役の地位にあることを主張しているが、後日この主張が容れられたとき、これまでそうであったように当然に本件土地建物を含む申立人会社所有名義不動産をもって、右申立外会社の財産的手当の用に供する考えでいる。これは必らずしも売却のみを意味しない。その意味でも、被申立人らにとって本件土地建物は、単なる金銭的評価以上の価値があるものなのである。

4. 本件仮処分により、申立人が異常な損害を受けることはない。

(一)  申立人主張の本件土地建物の売買契約の成立は疑わしい。仮に申立人会社が手附金倍額の損害金を支払わなければならないとしても、本件土地建物の売却は、被申立人らを含む矢島豊以外の相続人の同意のない違法なものであるから、これを異常損害にあたるとして、本件仮処分決定を取消すのは著しく公平に反する。

(二)  申立人会社が株式会社大海老からどの位借入れがあるかは知らないが、現在これを解消しなければ申立人会社に異常な損害が発生するとは考えられない。

また申立人は、申立人会社が物上保証している株式会社大海老の借入金返済計画をあげ、本件土地建物を売却し、その代金を株式会社大海老の資金にあてなければ、同会社の経営が行きづまるとすると主張するが、これは申立人会社の異常な損害となるものではない。

理由

一、申立の理由1および2の事実は、当事者間に争いがない。

二、そこで、本件仮処分決定を取消すべき特別事情の存否について判断するため、右決定を取消した場合に被申立人らが受ける虞のある損害が金銭によって補償されることが可能か否かを検討する。

(一)  被申立人矢島栄太本人尋問の結果、申立人会社代表者本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疏甲第一号証および成立に争いのない疏甲第一四号証ならびに弁論の全趣旨によれば、被申立人らの本件仮処分命令申請の主な目的は、亡芳郎の遺産の相続関係について被申立人らと申立人会社の代表取締役である矢島豊との間に争いがあり、申立人会社名義の本件建物の敷地(鎌倉市大町一丁目一一八二番六所在、宅地一六五・三〇平方メートル)は同会社所有名義の資産のうち極めて経済的価値の高いものであるため、同会社によって右土地を売却されることを阻止することであることを認めることができる。しかし、本件仮処分決定は本件建物のみに対するものであるから、その取消によって被申立人の受ける虞のある損害としては、本件建物に関する損害を考慮するべきであり、その敷地に関するものを考慮するべきではない。

(二)  被申立人ら各自の本件建物についての被保全権利は、最大限これに対する一五分の二の持分権である。そして、申立人会社代表者本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したと認められる疏甲第九号証ならびに成立に争いのない疏甲第一六号証によれば、本件建物は建築後約六〇年経過した木造建物で、老朽化が著しいうえに保守管理の状態が悪く、今後これを住居として使用するためには多額の修繕費を要し、しかも、住宅の形式が古いため住み難く、敷地を最有効に使用していないので、早晩取りこわす他はなく、現在その一部に居住している申立外今井件造も近く転居する予定であり、本件建物の経済的価値は零であると認めることができる。

被申立人矢島栄太は、本人尋問において、本件建物に居住する意思がある旨供述しているが、本件建物に対する同人の持分権と被申立人矢島隆太の持分権を合わせても最大限一五分の四であることと本件建物の前記状況を考えると、同人が将来本件建物に居住する可能性は極めて少いと認められる。また、被申立人矢島栄太は、同じく本人尋問において、本件建物の敷地を亡芳郎の生前同人から贈与する旨言われたことおよび右土地を利用して将来事業を行う計画をもっていると供述しているが、これらの利益は本件建物の敷地によって受ける利益であるから、この利益を侵害されることによる損害は、既に述べた如く、同被申立人の受ける虞のある損害として考慮するべきではない。

(三)  被申立人らは、本件仮処分決定の取消により受ける損害が金銭によって補償されることができない事情を申立の理由に対する答弁3で主張しているが、前記の如く本件建物の経済的価値が零である以上その売却により被申立人らに損害が発生することは認められず、本件建物の敷地の売却による損害が生ずるとしても、これを考慮すべきでないことは既に述べたとおりである。

以上に述べたところを総合すれば、本件仮処分決定を取消した場合被申立人らが受ける虞のある損害は金銭によって補償することが可能と認められるから、その余の点につき判断するまでもなく本件仮処分決定を取消すべき特別事情があると認めることができる。そして、申立人に立てさせる保証の額は、本件建物の価値および申立人と被申立人らの利害を考慮して金一〇万円とするのが相当と認める。

三、よって、申立人が金一〇万円の保証を立てることを条件に本件仮処分決定を取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 菅野孝久)

〈以下省略〉

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